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2026/9/10

AI時代に人間に問われるもの【2026年2月17日開催「社会変革人材フォーラム」レポート③】 

    青山社中、パブリックミーツイノベーション、スマートシティインスティテュート、福岡地域戦略推進協議会(FDC)、プロトタイプ政策研究所の5団体が共催した「5団体連携イベント」(2026年2月17日)では、話題提供と各団体のショートプレゼンテーションに続き、登壇者全員によるパネルディスカッションが行われました。人材と組織の変革を、AI時代という前提のもとでどう捉えるかをめぐり、議論の終盤には特別ゲストとして越智隆雄氏も参加しました。本記事はその議事録(要旨)です。

    ▼本イベントの詳細は以下からご覧ください(動画)

    https://youtu.be/rt9K4CtVK8g?si=mjUwIEU7B0Qi7sjg

    前半の総括—人材不足における静と動の視点

    小泉(誠) パネルディスカッションに入る前に、前半の内容を総括したい。まず考えるべきは、AI時代の変革だ。今回登壇している団体で一番活動歴が浅いプロトタイプ政策研究所でも4年前の設立時点ではAI時代を前提に活動していたわけではなく、青山社中のように歴史の蓄積の上に立つ活動であればなおさら、AI時代の話はごく短い期間の出来事にすぎない。これまでの知見を土台にしつつ、AI時代だとどうなるかを考えていく必要がある大きなテーマとして、ここに投げ込みたい。

    冒頭の話題提供で示した「人材不足における赤と青の領域」について補足したい。青は人材不足から出発する静的な見方であり、間違いでも悪いことでもない。ある時点の問題を構造的に切り取ったものであり、ストーリーがなければ物事は伝わらないため、この見方自体に価値がある。ただし本質はそこにとどまらず、動的な部分にこそ本質がある場合がある。

    赤い世界とは、バックキャストで捉えた際に見えてくるコンセプトだ。すぐにそこへ到達できるわけでも、世界がその赤一色でできているわけでもなく、現実は静的なものと動的なものが混ざり合っている。人材が足りないという見方も誤りではなく、それを大切にしながらも別の見方を重ねていくことで、本日の5団体のような取り組みが現実的なアクションとしてのリアリティを持つ。

    AI Questというプログラム・プレイグラウンドでアダプテーションが起きていたと述べたが、参加者数は初期の500〜1000人弱から現在は3000人弱まで拡大している。考え方の異なる参加者どうしがディスカッションを重ねる中で共有知が形成され、方向性が見えてくる現象が起きていた。5団体それぞれが異なる方向を持ちながら、ネットワークとしてつながることで共有知が生まれれば、少しずつ解が見えてくる。それがまさにプレイグラウンド的な考え方であり、まずはイベントとして集まって話してみようというのが本日の趣旨だ。

    AIと生きる意味、地域の規範(南雲氏)

    小泉(誠) 南雲氏に、スマートシティに取り組んできた立場から、静的な部分と変革に向けた取り組みについて聞きたい。

    南雲 これまでのプレゼンテーションを聞いて、接点の多さを感じている。朝比奈氏のテクニカル対アダプティブという整理や、制度改革をしても結局は人だという感覚は、自身が規制改革推進会議に4年間携わった経験とも重なる。スマートシティもデジタルから入ったつもりが、結局は人の話に行き着いた点でベクトルが似ている。

    石山氏の話に近いが、人間はなぜ生きているのかという生活の意味を掘り下げることから始めなければ、変革や街づくりのビジョンは見えてこない。ウェルビーイング指標を使うと、自分にとっての幸せとは何か、自分が幸せに暮らせる街とはどのような街かという問いを通じて、自分の人生との接点が増えていく。

    その先に見えてくるのが、自分の暮らす環境の「規範」だ。日本人が最も苦手とする部分であり、しきたりや世間体を気にして、能力や理解、知識があっても実行に移さないというナレッジと行動のギャップが大きいことがデータからも見えてきている。

    「意味」は個人にとっての生きる意味・人生であり、その周囲に明文化されていないが皆が従う「規範」というソフトローがあり、一番外側に制度・法律・社会インフラという「制度」がある。日本の社会インフラや制度は世界的に見てもよくできているが、恵まれすぎてありがたみを感じにくい国になっている。まだ手をつけられる余地があるのは意味と規範の2層であり、ここに働きかければ自然と変革が起きる。

    人を育てるうえでのターゲットは、能力育成や手続きの習得ではなく、自分の人生の意味と、それを取り巻く規範が今の自分に本当に合っているかを問い詰める能力とプロセスだ。

    小泉(誠) アダプテーションのサイクルで重要なのは「ありたい姿」だ。ありたい姿を描かなければギャップも見えず、しかもそれは現状の2割増しではなく、全く違う姿であることが多い。今はリアリティがなくても、なりたいと思えば能力が発揮され、都市も変わっていくはずだ。朝比奈氏にも近い話を以前してもらったので、続けて話を聞きたい。

    変えられない政治、変わる人(朝比奈氏)

    朝比奈 自分の問題意識の原点は、経済産業省時代に感じた「日本が成長しない」という実感だ。1990年代・2000年代にデマンドサイド改革が難しくサプライサイド改革として産業競争力強化法などをつくり、ターゲットを決めない「フレームワーク」型の議論もあったが、2000年代以降は中国が強力なターゲティング型の産業政策で台頭してきた。それでも日本はなかなか成長軌道に乗らなかった。

    今の時代は、明治維新期や敗戦時と韻を踏んでいる。外的な力に全くかなわない状況であり、黒船が米軍に代わり、今はGAFAと戦っても勝てない状況になっている。そうした中で日本が浮上できたときには、必ず人と地域の力があった。幕末維新でいえば長州がその代表であり、青山社中という社名も亀山社中にあやかったものだ。坂本龍馬のようなアダプティブアプローチの志士たちは、大臣でも高い地位を持つ人物でもなく、地域の中で育まれてきた。

    戦後も松下幸之助氏や本田宗一郎氏など、和歌山や浜松といった地域が育てたリーダーが多い。こうしたリーダーが今なぜ現れにくいのか。ハーバードでリーダーシップを学んでいた際、エズラ・ボーゲル氏が「日本人の留学生は増えたが面白い人は減った、ハーバードの学位が欲しいだけになった」と語っていたことが問題意識の原点にある。今は書店にリーダーシップの本や講座があふれているにもかかわらず、この時代からリーダーが生まれず、ハイフェッツも知らない本田宗一郎氏や坂本龍馬の方がリーダーであるというのは皮肉だ。かつて教えていて今教えなくなったものが何かを、松下村塾の教材などを調べる中で探ってきたが、それは端的にいえば「人物教育」だ。かつては各家庭や地域にロールモデルとなる人物がいて、そうしたファミリーヒーロー・ローカルヒーローについて学ぶことが教育の土台にあったが、今の社会ではそうした人物に学ぶこと自体が難しくなっている。

    最後に一言申し添えると、本日「アダプティブ」と「テクニカル」という概念が出たが、「スタティック」と「ダイナミック」も重要なキーワードだ。経済学でも静学的分析と動学的分析は大きく異なり、もとをたどれば戦略論に行き着く。ジョミニの戦術論に対しクラウゼヴィッツが「摩擦」という概念を提示したように、日本人はスタティックな準備・総合計画には強いが、実際の世の中はトランプ氏の発言に象徴されるように極めてダイナミックだ。皆がGoogleマップで空いている道を検索すればその道が混雑するように、皆がAIを使うようになったときにどう生きるかがAI時代において最も重要かつ困難な問いだ。合理・非合理、スタティック・ダイナミックという軸の中で、AI時代に人間らしさを取り戻すことは、一種の新しいルネサンスではないか。

    当事者性をどう発露するか(石山氏・片田江氏)

    小泉(誠) 石山氏に、今の話を受けて話を聞きたい。

    石山 難しいテーマだと感じつつ、うなずく点も多い。社会課題や自分の取り組みに対して、1人の人間としての当事者性が欠けていることが問題だと考えている。

    南雲氏の話にも通じるが、例えばSDGsバッジを付けたビジネスパーソンが日常でどれだけエアコンの使用時間やゴミの削減に気を配っているかというと、必ずしもそうではない。企業や社会全体が公共性を志向する流れにありながら、それが「仕事人としての取り組み」にとどまり、「1人の人間としての取り組み」になっていないという危機感の欠如がある。

    戦後の何もない時代には、自分がやらなければ生活が悪化する、公害が起きるといった当事者意識にリアリティがあったが、今はそこに乖離がある。肩書きやエリートかどうかを外し、1人の人間・有権者・市民としてどう痛みや幸せを感じるかという原点に戻れるかが本質的な問いだ。

    自身は実家がシェアハウスだったこともあり、シェアリングエコノミーに対して利害を超えた当事者性・体現者としての実感を持っていた。知識や経験がなくてもその領域に飛び込んだ経験から、応援者や協力者が増えていくことを経験しており、社会を前に進めるうえで大事なポイントだと感じている。

    小泉(誠) リクルートに10年以上在籍していた際、「圧倒的当事者意識」という言葉がよく使われていた。当時は当たり前だと思っていたが、外に出てみるとそうではないと気づいた。片田江氏に聞きたい。福岡はインフラ事業が中心で、朝比奈氏がいうスタティックな産業構造が強い土地柄だが、石山氏のような当事者意識を持ってもらうことは現実的か、当事者意識を変えることはできるのか、FDCがこれまで調整してきた実感を聞きたい。

    片田江 ここまでの話に1つ1つ共感している。結論からいえば、当事者意識・当事者性を発露する場を確保できるかどうかが鍵だ。

    FDCでは約240の会員とともに地域戦略・地域成長につながる事業を生み出しているが、時には組織の看板を背負って活動する人だけでなく、個人の課題意識を起点にFDCを面白がって使う人が思いがけないプロジェクトや正解をもたらす場合もある。「我が社は」「我が部署は」という主語で話そうとすると固定的な発想に閉じたり、発言に制限が出てしまう場合があるが、個人として面白いと思っていること、福岡のここに伸びしろがあると感じていることを主語に、社内では切り出しにくい未成熟なアイデアをFDCで試してもらうような感覚が良いのではないか。

    福岡で暮らす自分の生き方や、こういう街であってほしいという目指す姿と、それを実現する手段としての事業をセットで考えられることが、FDCの中で事業化につながっていく。組織の看板を意識するほど通常の企業活動の中では当事者性を発露しにくいが、FDCがその看板を超えた対話ができる場として可能性があると考えている。当事者性を発露する場をどう地域や様々な場面で提供できるかがポイントだ。

    小泉(誠) 「発露する場」というキーワードに同意する。FDCの活動を直接見るまで気づかなかったが、まさにプレイグラウンドはFDCそのものだ。会社から切り離した場をつくり、あるテーマについて垣根を越えて建設的に議論する場を提供しているが、実際にはかなりの調整を重ねている。様々な意見が飛び交う中で調整に調整を重ねる存在が、今の時代には必要だ。調整役がいなければこうした動きは起こらない。

    AI Questは経済産業省の無償プログラムで、経産省がやっているならという理由で人が集まったことでうまくいった側面があり、再現性がないかもしれない。ただ、その時は調整役がいなくても成立していた。調整役がいる状況から抜け出さなければならない時代であるという点が、FDCにとって現在の大きなテーマになっている。

    何が大事かは見えてきているが、場をつくるコストやコンテクストをつくることが非常に大変で、なぜそこに行く必要があるのか、会社にどんなメリットがあるのかという説明が難しい。それでも大事であることは分かっているため、ここをどう解消するかが大きな課題だ。

    AIの時代に人間に残る問い(落合氏)

    小泉(誠) 落合氏に意見を聞きたい。今回まとめた内容は過去から現在の話であり、10年・15年というスパンではAI前提を含まない時代の話が大半を占める。これをAI前提で考えるとどうなるか。アダプテーションが起きているとき、人の中ではありたい姿があり、そこから現状を抽象化して「こうすればうまくいきそうだ」という反実仮想を描く。それを実行しようとすると今の自分を変えなければならず、勉強したり誰かを巻き込んだり、今の会社に居続けてよいのかを考えたりするようになる。AIを使うとこのプロセスがどうなるかを聞きたい。

    AIは過去から現在までのデータの学習をベースに、こうすればうまくいきそうだという答えを出しやすく、自動化バイアスも起きやすい。それを正しそうだと思ってしまうと、既存の手法をなぞった一見合理的な答えに収れんし、自分はどう生きたいかという問い自体が弱くなる。AIは「私はどう生きたらいいか」という悩みには答えやすいが、「あなたはどう生きたいか」という問いには答えられない。

    落合 AIが様々なことをできるようになる中で、人間がやるべきことは何かを考えざるを得ない。小泉氏の指摘どおり、AIは意味を与えてはくれない。記述や事実を整理して見せることはできるが、それは「あなたがどう生きたいか」ではなく、「どの学校に行けば就職が有利か」に答えているにすぎない。

    朝比奈氏の話にあった「自分たちの地域でどういう社会をつくりたいか」「先人のような生き方をしたいか」といった問いにAIは答えを与えてくれず、結局は自分で見つけていくしかない。しかもAIの答えは一見すべて正しく見えるため、南雲氏が述べていた「意味と規範を問うていく」ことが必要になる。これが自分にとってどう使えるのか、どう価値になるのかを考えることが重要だが、いきなりこれを行うのは難しい。

    例えばキャッシュレス社会に向けたルールづくりを問われても答えにくいが、経費精算の紙をどう減らせば自分の仕事が楽になるかという身近な問いであれば、自己変革につなげられそうに思えてくる。本当はこうしたいから、少しやり方を変えてみようという思考のトレーニングを重ねることが大事だ。

    AI時代に意味を問い、規範をつくるトレーニングは、日々の生活の中にすでにある。これを1人で行うとモチベーションを保ちにくいため、FDCのような場や、若手がPMIに参加するといった、互いに刺激し合う発露の場が重要になる。いきなり日本全国に届く変革人材になる必要はなく、小泉氏がいう「半径5メートル」の範囲で目の前の人に話を伝えられれば、それはすでにある程度のリーダーシップを持っている状態だといえる。

    リーダーシップはCEOや大臣になることを意味するのではなく、日常の中で少しずつ変えていく際に一緒に引っ張っていく力だ。こうした日常的なリーダーシップを持つ人が少しでも増えれば、「少し変える」という最初のステップさえ乗り越えられれば、その先を真面目にやり抜く能力は日本人が高いはずであり、これは朝比奈氏の言う成長戦略のどの施策よりも効くのではないか。

    知識をそぎ落とす、運動としてのアダプテーション

    小泉(誠) 結局、人間が大事だという話だ。人間は1人では立ち上がらず、人と人との間で立ち上がる。家族やファミリーヒストリー、地域の記憶といった歴史の積み重ねの中でつくられている。

    自我が芽生えたところに「ありたい姿」が出てくる。これをAIの話と絡めると、規範・倫理とルールの関係に近い。ルールは強く見えて実は弱く、AI時代にはむしろ規範や倫理のレイヤーの方が重要になる。具体的な法律というルールに照らせば判断できることも、上位の倫理レイヤーで考えれば、AIを使って社会を破壊したいと考える人は誰もいないはずだ。

    AI倫理は2019年頃から議論されてきたが、これは人間にも当てはまる。生成AIが出す一見合理的な答えに対し、自分が考える倫理や規範、ありたい姿とは違うと言えて初めて、批判的な指摘が可能になる。どれほど英知を結集したように見える答えであっても「私は違う」と言える状態をどう鍛えるかが、人間側に問われている。

    何をするかを問う前に、まず何をしたいかがなければ、「これが要らない社会をどう考えるか」という問い自体が出てこず、AIの使い方も限定的になる。ありたい姿がなければ、AIの言う通りにした方がよいということになってしまう。人間には、何を求めどうするかというありたい姿と、それを判断し必要なら「違う」と批判できる力の両方が求められる。

    プレイグラウンド、アダプテーション、アダプティブトランスフォーメーションと述べてきたが、AIを前提にしても結局は人間の話だ。人が集まらなければ実現しないということを、本日共有できたと感じている。これらを踏まえて、南雲氏にもう一度話を聞きたい。

    南雲 最近、生成AIの発達を背景に、年末年始頃から「知識のそぎ落とし」を行っている。書店で買った本が積読になっていくように、知識という鎧を身につける方向に流され、知識や言葉に振り回されがちになる。今は1つの物事にも複数の知識体系が必要な複雑な時代であり、その傾向が強まっている。

    AIが面白いのは、自分の中に意味や規範の軸があれば、それを問うことで必要な情報がすぐ返ってくるようになった点だ。バイアスのリスクはあるが、専門用語に振り回される状態から一旦離脱できる可能性が出てきた。実際に積んでいた本を処分してみたところ、ありたい自分が自らの「意味」に収れんしていき、膨らませるよりそぎ落とす方が素直で、本当に考えていることが見えやすくなった。

    もう1つは、これまで1つの知識体系を身につけるには先人の著作を読み込む長いプロセスが必要だったが、AI時代には1人が複数の専門領域を最短で身につけられるようになった点だ。異なるものの見方をシミュレーションでぶつけ合うことができ、自分の中にしっかりした問いがあれば複数の知識体系を行き来できる時代が到来している。NotebookLMなどを使えばプロンプト入力から数分でスライドにまとめられ、考える時間をより多く確保できる。積極的に使わなければ振り回されるが、使い方次第で複数の物事を並行して考える時間を得られる良い時代でもある。

    小泉(誠) 8〜9年前に「問いのワークショップ」が立ち上がり、問いの力が盛んに語られた時期があった。その前にはデザイン思考があり、アダプテーションに近いことを言っていたと思うが、違いは点や静的な語りにとどまっていたことだ。デザイン思考は人に伝えるためにプロセス化されたことで浸透した一方、それだけでは変化が定着しないことも多かった。

    率直にいえば、本日の話はすべて「運動」についてだ。目的は運動すること、運動し続けることであり、山を登ることに近い。どの山を登るかは考えるべきだが、どの道を通るかよりも、一歩一歩踏み出し続けること自体が重要であり、そのモチベーションはやはり人に戻ってくる。人はどう立ち上がるかというと1人では無理で、人との間で学び感じながら立ち上がっていく。大人はすでに完成した存在ではなく変化し続けるものであり、人と人がどうつながり何をしていくかを表す言葉としてアダプテーションを用いている。

    アダプテーションは変革のために重要な概念だが、内容自体は過去から語られてきたこと——人と人が交わる中で自分と他者がやりたいことの違いから何かを学び合うこと——と本質的には同じであり、松下村塾で語られたこととも重なる。0から1をつくる話ではなく、これまでの営みを再解釈し、再度考えていくことが必要だ。

    問いのワークショップも単発で終われば意味がない。本日の5団体が現実味のある集まりだと考えるのは、いずれも継続的な事業や活動として取り組みを続けている点だ。アダプティブトランスフォーメーションやアダプテーションという言葉で、これまでの営みを再解釈していく中で、継続的な方法が見えてくる可能性があると考えており、運動をしたい、運動が大事だということが本日最も伝えたいことだ。

    クロス人材の実践(特別ゲスト・越智隆雄氏)

    小泉(誠) ようやくコンセンサスが得られた。約2時間を要したが、締めの前に特別ゲストの越智隆雄氏を紹介したい。

    越智 衆議院議員を15年ほど務めたが、国会議員は国家経営を行っていないのではないかという問題意識から、外で国家経営に関わる活動を模索してきた。本日の話を聞き、変革人材という概念はAI QuestにもFDCにも当てはまり、自分自身もクロス人材だと感じた。

    2025年7月、米国がドル建てステーブルコインの法制化を強化しようとした際、直観として、世界中の決済がステーブルコインに置き換わってしまったときに、もしも円建てのステーブルコインがなければ全てドル決済になってしまうのではないかという危機感を覚えた。金融庁幹部に相談した当初は理解が得られなかったが、最終的にはオールジャパンで円建てステーブルコインをつくるという方向にまとまった。専門家ではない立場から人の琴線に触れる形で働きかけることで周囲が動き出すという経験は、クロス人材の実践そのものだったと思う。

    もう1点、コンサルティング会社と話す中で、フレームワークやビジネスシステムをつくれる人材が自治体や企業側にいないため、コンサルティング会社が全て請け負う状況になっていることを知った。これは組織内にクロス人材がいないためにコンサルタントがその機能を担っている状態であり、アダプティブトランスフォーメーションという考え方は様々な場面に応用できると感じている。

    小泉(誠) 変革人材については再現性がない、育成できない、発見するしかないと言われてきたが、クロス人材という概念によって少し解決の糸口が見えてくる。越智氏は「自分はクロス人材だ」と述べたが、傍から見れば十分に変革人材にも見える人物だ。しかし本人は専門家ではない立場で、人に伝えて回り、翻訳し、相手をリスペクトしながらつなぐことを実践している。この能力は変革人材も持っているはずだが、キャラクターの強い人物ほど「あの人が言うのだから」という形で変革人材として扱われがちだ。クロス人材という言葉を使うことで、キャラクターが目立たない人物、例えば鉄道会社の現場主任が持つ能力の価値も見えやすくなり、それを鍛える場としてプレイグラウンドを位置づけられる。AI Questでも、参加者どうしがクロスする能力を鍛えられたことが、結果的に良い成果につながった可能性が高い。コンセンサスが得られたこと自体が大きな成果だ。一度きりで終わらせるつもりはない。本日の内容はレポートとしてまとめ、明日から現実に直面すると「いい話だった」で終わってしまいがちだが、ここで諦めず、運動を続けていきたい。今後も適宜共有しながら、ともに考えていきたい。


    ※ 本記事は5団体連携イベントでの議論の要旨であり、逐語の記録ではありません。専門用語・固有名詞は原則として発言のまま用いつつ、読みやすさのために趣旨を損なわない範囲で整理しています。

    また、内容の完全版は以下の動画でご確認いただけます。

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    越智隆雄氏

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