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  • 対談

2025/10/16

プライバシー保護vs.データ利活用 幸福追求権を最大化する制度設計とは

    デジタル社会の進展に伴い、データ利活用は社会全体のウェルビーイング向上に不可欠な要素となっています。しかし、同時に個人情報保護の重要性も増しており、両者のバランスをどのように取るかが喫緊の課題です。プロトタイプ政策研究所では、研究会メンバーの瀧、稲谷、クロサカ(本対談記事の発言順)が、所長の落合をファシリテーターとしてこのテーマにつき議論しました。特に稲谷が去る2025年1月21日に開催された内閣官房デジタル行財政改革会議に提出した意見書をもとに、データ利活用とプライバシー保護の未来、幸福の定義や国家の義務について議論します。

    ▼内閣官房デジタル行財政改革会議第2回データ利活用制度・システム検討会にて研究会メンバーの稲谷が提出した資料

    データ利活用制度・システム検討会資料20250120

    <本対談完全版>

    プロトタイプ政策研究所のYouTubeはこちらからご覧ください。

    https://youtu.be/EGmVfFUzmqs

    データ社会における個人情報保護とウェルビーイング・ウェルフェア・プライバシー等に関する議論

    落合: 個人情報保護は重要だと誰もが認識している一方で、なぜ、どのように保護するべきかという根本的な議論は不足しています。医療情報などは活用が制限され、結果的に社会全体の不利益につながっているケースも少なくありません。現状のデータ利活用における制度設計や運用を見直し、個人情報保護のあり方を改めて議論する必要があるのではないでしょうか。瀧さんは金融の観点から、どう思われますか。

    瀧:欧州の決済サービス指令第二版(PSD2)は銀行業界の競争促進とデータ保護を目的としていますが、日本の銀行API開放は、銀行法により整備されたものでもあり金融イノベーション促進とセキュリティ向上に主眼を置いており、情報法制的な基盤が強くありません。消費者保護の視点を取り入れることで、現状を打破できる可能性があり、昨今の消費者委員会などでもとりあげられています。

    ウェルビーイング、という観点で言うと、CFPB(アメリカ合衆国消費者金融保護局)がフィナンシャルウェルビーイングについて、現時点での生活や資産を保全しながら、できるだけ未来の選択肢を得られるような見通しを立てられていることであると定義しています。個人が自身のお金の状況を把握し、将来の選択肢を広げるためには、自分に起きていることに関するデータへのアクセス権の確保が不可欠です。

    我々のサービスの実態として、口座や取引などの情報を集約するだけでも、お客様が価値を感じて対価を支払うことはよく見られており、この事実が「自己情報の把握自体に価値がある」ことを証明しています。これは、利活用というより便宜的閲覧に近く、アクセス権がウェルビーイングに直結する好例と言えるでしょう。消費者保護と言っても、そんなに難しいことを考える必要はなくて「自分に何が起きているのかがデジタルに把握できる」状況を作ることなのだろうというのを感じました。

    稲谷: 「ウェルビーイング」という概念を用いたのは、幸福追求権という点をポイントにおいているからです。社会的な分配の問題だけでなく、個人にとっての幸福を追求する権利を保障することが重要だと考えています。もう一点、「保護」という言葉はマイナスをゼロにもっていくような、やや消極的な印象があります。ですが、もっと前向きにと言いますか、デジタル技術によって今よりもウェルビーイングが満たされる状態に持っていけるのではないかと。こうした可能性を切り開いていくというのを、本来国家が積極的に担うべきだと考えています。

    落合: 今稲谷先生がおっしゃった「保護」が後ろ向きになりがちな理由を考えてみたのですが、日本の中で「保護」と聞くと何等かの行動を禁止したり制限したり、というケースが多いのだと。そうした平面的なものではなく、より皆さんが幸せになっていくために合理的にリスクを削減して対応していけたら良いのではと感じます。

    瀧:私は20年前、日本人が貯蓄から投資になぜ向かわないのかを研究していたのですが、そのころは「何もしなければ減りはしない、だからリスク性資産には投資するな」という感覚が強かったんです。しかしここ5,6年で状況が一変した。稲谷先生の今回の意見でも示されているように、データについても同じことが言えて、データを使うことによるメリットとモラルハザードによるコストを天秤にかけたとき、メリットが十分に生まれる世界を作れれば、ちゃんと利活用がされるような方向に向かうのではないかと。

    クロサカ:稲谷先生の、モラルハザードによる費用とデータ利活用による便益の比較衡量を費用便益計算で考えていこうというのは非常に重要な御指摘です。

    プライバシー権は時代とともに「私生活の秘匿」から「自己情報コントロール権」、「アーキテクチャ思考」へと発展してきました。西成監視カメラ訴訟(昭和44年12月24日最高裁判決)は、カメラの連携や画角に基づいて、どのカメラがプライバシー権の侵害に当たるかを判断するという、アーキテクチャを意識した画期的なものでしたが、50年以上経った今でもアーキテクチャと人間の関係について議論は続いています。ここに一石を投じたのが稲谷先生の費用便益を考えるというお話だと感じました。

    世の中に流通するデータの大部分は言ってしまえば「ゴミ」なのですが、それも含めてデータの総体から金脈を見つけるのがデータサイエンティストの仕事であり、今はAIの進化により、もう少し確度高く、価値を創造できる可能性が広がっています。GDPRでさえ、データの完全消去ではなくリンクアビリティの消去を認めている点は興味深い。リンクアビリティさえ落とせば、つまり検索結果から出ないようにすれば良いのであって、これはアプリケーションの話だと。データベースの話ではないと、こういうふうに基本的に分けられているところがあります。

    稲谷: 素晴らしいレスポンスをありがとうございます。害のミニマイゼーションとあるいは瀧さんのリスク0、何もしないのが良いんだっていう議論を離脱するための概念をどう作っていけるかが法学に任されている仕事だと思っていて、そこを正面から考えていくことが課されていると。憲法13条の実質化とか、あるいはその幸福追求権の実質的保障を出させていただいたのはそんなところにも狙いがあります。

    コストについても、事業者の目線で見たときのコストの問題と、実際のデータ主体に被害が及ぶ意味でのコスト、様々な取り方があり、それぞれで費用便益分析をやるための利益衡量枠組みを緻密化していく作業が絶対必要になると思っています。ユースケースごとに明確化、グルーピングすることである種一般概念のような形で整理していければと希望を持っています。

    幸福追求権の実現と国家の義務に関する議論

    落合: 皆様から、個人の権利、憲法視点で幸福追求権というところと、その中でどういう形でウェルビーイングを増やしているのか、またそのときのコストアナリシスをどういうふうにしていくかという形で定式化していただきましたが、一方で国家は、個人の幸福追求権を実現するために、どのような政策をすべきかという視点もあると感じました。標準化や自由貿易といった概念も、データ政策と関連付けて議論していくべきで、なぜある種の介入をしてまで、データを繋ぎに行くんだろうか、そのためになぜ義務付けをしていくのだろうかと。一義的に結論が出るものではないとは思うんですが、国家の義務として、幸福追求権の実現をどのように位置づけるべきでしょうか。

    稲谷: 幸福追求権の実質化を実現できる環境を構築することが国家の義務になっているのだと思うんです。レッセフェールが、幸福追求権を保障していることとイコールだと、まだ考えるんですか?という問いかけをしたいですね。

    瀧さんからもご指摘がありましたように、悪質なプラットフォーマーの出現などにより個人の幸福追求が阻害される可能性が高いなか、レッセフェールでは、デジタルリテラシーがものすごく高い人でないと対応しきれなくなってしまう。かつての、国家は最小限の警察権力だけを握ってレッセフェールとするのが、国民の幸福追求権の保障という観点から望ましいのだという議論がなされた頃とは、全く状況が変わっているんだという点を念頭に置きながら制度設計していく必要があると思います。

    ただ、EUの基本権保護義務のような設計主義的アプローチではなく、目指すべき方向性を柔軟に調整していく方法が必要です。EUのデータ法やAI Actなどは、理想的な状態や人間像への強い理念を持っていて、それに基づいて新たに生じている環境変化に設計主義的に対応していると思います。そして、それが限界を露呈しつつあるとも思います。

    僕ら日本人は彼らほど強固に理念化された人間観を共有してないし、人間と技術は相互に影響しあいながら存在し、人間自体も皆、関係的に生きているという世界観じゃないかと。それは多分これから強みになるところもありますし、アジャイルガバナンスはその強みを引き出すための戦略でもあると思っています。個人的な考えですが。

    落合: 日本はドラえもんの映画を見て泣いたり笑ったりする国民性ですので、人間と技術が相互に影響しあって存在しているという世界観は感覚的にしっくりくるという感じはします。クロサカ先生にお伺いしたいのは、稲谷先生からレッセフェールや最小限の警察権力というキーワードをいただきましたが、トランプ政権では夜警国家に近いようなことをしている部分もあるのではないかと。ワシントンにおられる中で、どのように感じていらっしゃいますか。

    クロサカ: アメリカは銃の所持が一部の州で認められているように、自己責任原則を重視する傾向があります。その一環として、お金を払ってある程度いいところに住んでいれば、夜の散歩だってできる。いま私が暮らしている地域は、安全には代えられないと泣く泣く高い家賃を払っているおかげで、安全面で東京以上だなと感じる瞬間もあります。

    共和党政権の基本的な考え方は「小さな政府」であり、ホワイトハウス・上院・下院ともに共和党多数派である「トリプルレッド」である現在は、レッセフェール的な政策が強化される可能性があります。今回の大統領就任式で印象深かったこととして、ビッグテックの役員たちが全員並んでいました。これはトランプ政権に対する恭順の意を示しているのと同時に、ビッグテックを中心にデジタルテクノロジーが社会を牽引する時代の終焉を感じた人たちも私の周囲では少なくありません。

    ただし、では今後はレッセフェール的な放任主義的な世界か、あるいは逆にパターナリズムなのかというと、その二極化ではなく、中間解があって、そのポイントになるのがトラストの概念だと私は思っています。我々は自分たちが自ら契約を定められるように、民間-民間の生活のなかで「この人は信用できる」というあいまいな信頼関係で物事を進めているという現実があります。政府などが全てを管理するのではなく、今お話したような信頼に基づくアクションをデジタルの世界でも上手に持ち込めると、ウェルビーイング実現の方法の一つになるように思います。


    本対談の完全版は、プロトタイプ政策研究所のYouTubeでご覧いただけます。

    ぜひ以下よりご覧ください。

     https://youtu.be/EGmVfFUzmqs

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