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2023年12月15日
イノベーション推進のためのグレーゾーン・新領域への取組に資する法・社会基盤に関する提言
渥美坂井法律事務所・外国法共同事業
プロトタイプ政策研究所
提言No.0005
人材・組織
1.はじめに
イノベーションはその語源である新結合(neuer-kombinationen)の文字どおり、ビジネスアイデアや技術の組み合わせによってもたらされる。2000年以降、ブロードバンドやスマートフォン、クラウドコンピューティングの普及により、過去には技術的・ビジネス的に実現不可能と思われたサービスが提供可能となる一方で、法律上も想定されてこなかった技術の活用や利用者のニーズが発生してきている。
こうした技術やニーズの変化に伴い、法解釈や制度の在り方が根本的に見直される必要が生じており、本提言はこうした観点から提案を行うものである。まず、こうした技術の活用やニーズの変化を理解しやすくするため、いくつかの新領域に挑んだ事例について、事業者側からの視点で見ていきたい(注:本提言関与メンバーのうち、各事例の関係者の視点である)。
2.グレーゾーンに挑んだ過去事例の紹介
1) 電子決済等代行業の誕生・イノベーション
銀行業界における電子決済等代行業の誕生経緯を例に、事業者側からの視点を見ていく。電子決済等代行業は事業の実態は後述のとおり以前から存在したが、2017年の銀行法改正に基づいて2018年6月から施行された、金融機関のシステムに外部サービスとしてデータ参照・取引指示を行う業態であり、主たる用途として家計簿アプリや会計ソフトなどがある。このようなソフトウェアでは、人間が手入力をしなくても、ソフトウェアが自動で銀行のデータを参照して帳簿の作成を行うことができるため、アドバイスや不正検知等、様々な手続の省略・省力化ができるようになる。一方で、銀行を含む金融業界及び金融法制はそのような用途を想定してこなかったというギャップがあった。
電子決済等代行業が誕生する前、家計簿アプリや会計ソフトといったサービスは、2000年前後から行われており、利用者の同意を得てインターネットバンキングに利用するIDやパスワードを預かり、利用者に代わってクラウド上の環境からアクセスするという形式をとっていた。とはいえ、利用者の同意を得ていてもパスワードを預かることはセキュリティ上の懸念からも好ましいものとはいえず、金融機関が利用者との間の約款でパスワードを第三者に渡すことを禁止していることも多かった。また、金融機関のシステムに、特定のサーバー群から大量のアクセスが来ることも懸念され、利用者が享受する利便性との比較衡量から接続遮断を行ったことがあり、極端なケースでは不正アクセス防止法が該当するか否かといった検討が生じたこともあった。以下では銀行法改正の前の状況を改めて見ていきたい。
全国銀行協会は、2001年10月という早い時期から、「アカウントアグリゲーション・サービスに関する基本的な考え方」を公表し、適切な接続のあり方に関する注意喚起を行っていた。とはいえ、このようなソリューションは、当時は信用力のある大手SIerにより比較的限定的な範囲で提供されていた。これらの企業群も必要とあれば接続先となる金融機関と各種調整が可能であり、利用者数も多く見てもなお数十万人と限られていたため、制度上の懸念を提議するほどの状況ではなかった可能性がある。
状況が変わったのは2010年以降である。スマートフォンとクラウドコンピューティングの普及により、様々な家計簿サービスや会計ソフトが誕生した。また、スマートフォン時代の到来により、個別に数百万人を越えるサービス群が増えてきた。これらの事業者が、金融機関に対して代理アクセスを開始したことで、アクセス頻度が高すぎるケースが生まれたり、金融機関側において、情報漏洩に対する間接責任を問われる可能性も意識されたりするようになった。従来は技術的に許容されてきたことが、プレーヤーの多様化と利用者数の急増により課題視されやすくなったといえる。そして、その課題が事業上においても現実化したのが2014年前後であった。各種ソフトウェア企業のサービスにおいて利用者が増えるにつれ、アクセスが遮断されるケースが生まれた。また、個別に金融機関に相談したとしても、アクセスを許容するための明確な基準がないため、経営レベルでのコミットが得られない限り安定した接続を確保することはなかなか困難であった。他方で、ソフトウェア事業者側では、利用者に対して財務諸表の作成といった継続的な役務提供の期待値がある。そのため、事業者が拡大するにつれ安定したアクセスを確保できないことは、より現実的な課題となっていた。また金融機関との安定的な接続について、金融行政の当局(本件は金融庁)に相談することは、少なくともこのタイミングでは選択肢に入らないという実情もあった。
そのような中、ソフトウェア業界にとって僥倖といえたのは、2014年頃に欧州ではソフトウェア企業による決済サービスへの代理アクセスを可能とする法制度の検討が進んでいたことである。改正決済サービス指令(Revised Payment Services Directive、通称PSD2)は、欧州各国における銀行等のサービスに向けて、競争促進やデータポータビリティの観点から第三者ソフトウェアからの接続を無償提供する義務を定めるという、大幅な変更を含んだ改訂案が採用されようとしており、世界各国の金融当局からも注目を集めていた。このような海外の制度進展を背景に、日本でも最終的には2018年に施行された改正銀行法において、銀行が外部ソフトウェア向けの接続窓口としてAPI(Application Programming Interface)を整備する制度が提議され、提供に向けた努力義務も課されることになった。同制度の施行に向けた行政面での調整の中で、事業者に求められるセキュリティや内部統制上の基準も明確化されていき、最終的には、当初の接続に向けた課題は解決が図れただけでなく、よりオフィシャルに、多数の利用者が自動で金融資産や財務を管理できる社会が実現した。

上記の事例から言えることの一つとして、制度上(金融法制及び情報通信関連法制)、評判上のリスクを負うようなサービスは、いくら目の前で利便性を享受する利用者・事業者の姿があったとしても、失うものがないベンチャー企業にしか開発できないのではないか、という仮説がある。大手SIerが提供するサービスがこの領域に本格参入しなかったことについて、金融機関との関係維持や評判リスク上の観点から、自動取得機能を理想論でしかないと見てチャレンジせずに諦めていた既存プレーヤーが多かったこともあると考えている。
2) 民泊事業の誕生・イノベーション
2010年代前半、海外の民泊仲介サービスを通じて日本でもいわゆる民泊が普及し始めた。こういった動きを敏感に察知した国内大手IT企業も同様のサービスを展開すべく、実証的に民泊サービスに取り組みだしてきた。一方、2018年6月に住宅宿泊事業法が施行されるまでは、民泊は、旅館業法に抵触するという議論があった。施設を設け、宿泊料を受けて、人を宿泊させる営業は旅館業に該当するため、民泊のように有料で人を宿泊させるためには、旅館業としての許可を得なければならず、この許可を得ずに民泊を行うことは違法であるとの見解があった。ただし、宿泊と短期の賃貸借契約との境目は曖昧であり、短期賃貸借契約を結ぶことによって事実上民泊サービスを行うという判断に踏み切った事業者も存在していた。旅館業の許可が必要かどうかは、厚生労働省から出されていた通知に基づいて、一月以上の滞在など形式的な目安はあったものの、生活の本拠か否かという曖昧な判断基準となっていた。この一月という目安はあくまで厚生労働省が旅館業法を運用するにあたって示した判断基準であり、この判断が法解釈として適切かどうかは最終的には司法の判断に委ねられるものである。この生活の本拠という曖昧さがグレーゾーンとなったものの、そこに挑戦する国内の事業者も現れた。
この間の社会背景に目を向けると、訪日外国人旅行者数の増加などにより日本国内で宿不足問題が顕在化しつつあった。日本国内では、宿不足によりそもそも宿泊予約を取ることができず、空き室があったとしても、需要超過の状況を受けてホテルなどは以前よりかなり高い値段になっていた。観光目的以外でも、日本国内のビジネスマンの国内出張などで宿不足の影響を受け、宿泊施設を確保することが困難であるといった声も聞かれるようになっていた。当時、訪日外国人旅行者数は毎年数百万人単位で増加をしており、さらに2019年にはラグビーワールドカップ、2020年には東京オリンピック・パラリンピックの開催が控えていたため、宿不足問題はより一層深刻化することが明白な状況であった。
このような社会背景に加え、既に海外事業者によって日本国内でも民泊サービスが広まりつつあった背景を受け、民泊が合法的に行えるように民泊新法の整備を進めるという動きが現れたのであった。法的にグレーながらもサービスとして普及していったということは、社会的に民泊サービスが必要とされ、受容されたという側面があったと考えることができ、先に実態が広まった中で、後追いする形で制度が整備されたという例の一つであった。
3) 2つの事例から見るイノベーション・新領域創出のための法・社会基盤の必要性
これら2つの事例における新事業は、法令で明示的に許容されていない中で、少なくとも、日本国内の大企業においては、グレーゾーンと言われ忌避されることが多い領域であったといえる。ユニコーンを輩出し続けている米国などでは、法律違反ではない行為に対して、禁止されていない限りやってよい、というメンタリティがイノベーションを生む考え方となっている。他方、日本では、少なくとも2015年頃までは、それまでのベンチャー企業へのイメージから、仮に適法な活動をしていてもなお、社会的な逆風による信用棄損があり得る状況があり、グレーゾーンの事業リスクを取りづらい環境が発生していた。そして、相当に明確なケースを除けば、官庁に対して制度化されていないリスクを真面目に照会することには、藪をつついて蛇を出すようなイメージがあった。この板挟みの中で、実害が出ていないうちからイノベーションへの試行が諦められてしまったこともあったのが筆者らの実感である。
このような環境において、少しずつでもイノベーションを追求するためには、様々な信用補完の対応が必要であった。例えば、ベンチャー企業が金融機関からの資本面・事業面での提携を受ける背景には、資金調達や協業先確保などそれ自体の意義もさることながら、事後的には信用補完のメリットもあったといえる。
2023年の日本では、スタートアップの創出なども契機にイノベーションの推進が期待される情勢が強まりつつある。一方で、上記の2015年までに「グレーゾーン」への取組を止めていた制度的な背景は未だ残りつつある。行政規制、民事及び刑事に関する責任制度、会社法制における取締役等の責任やそれに関するD&O保険の課題を整理し、今後の議論が期待される方向を論じつつ、企業が実践するべきリスクマネジメントの方向を見ていきたい。
3.イノベーション・新領域への取組に必要な行政規制・行政組織の在り方
以上の課題を踏まえて、まず規制の在り方がアップデートされる必要がある。ユニコーン企業が多数生まれてくる事業環境を整えていくためには、政府における立法・法解釈に係る現状のあり方も再考される必要がある。具体的には、以下の3つの観点を踏まえながら、法制度の基盤としてのスタートアップ・エコシステムを構築していくべきである。
第一にアジャイルガバナンスの徹底である。アジャイルガバナンスは、事前にルールや手続が固定されたガバナンスではなく、企業・法規制・インフラ・市場・社会規範といった様々なガバナンスシステムにおいて、「環境・リスク分析」、「ゴール設定」、「システムデザイン」、「運用」、「評価」、「改善」といったサイクルを、マルチステークホルダーで継続的かつ高速に回転させていくという概念である。これにより、社会的な保護法益や、考慮すべき事業、競争環境の変化に対して、法制度の見直しを柔軟に行うことができるようにすることが重要である。
第二に、政府における性能規定を中心とした立法のあり方である。米国などの法令が、例えば「・・のために必要な措置を講ずる」など、法の趣旨や目的的な規定を中心に定め、詳細な仕様は事業者に委ねる性能規定を中心とした法体系であるのに対し、日本の法令は、例えば「・・は5メートル以内とする」など、詳細な仕様まで法令で定める仕様規定を中心とした法体系となっている。一般的に、性能規定の方が事業者の創意工夫に対する制約が少なく、新規のサービスを開発しやすい法体系となる。
一方でデメリットとして、性能規定は事業者自らが対応・手段を判断する必要があり、その過程でリスクマネジメントが必要となる。仕様規定はその反対で、創意工夫を妨げる一方で、仕様さえ満たしていればリスクがゼロに近づきやすいため、コンプライアンス業務は簡便である。そのため、従来、「リスクをゼロにする」ことのみを主眼とした発想により法実務を行ってきた多くの企業は、法改正要望においても仕様規定を嗜好する傾向にあり、今でもその傾向は残っている。
しかし、スタートアップや大企業の新規事業部門を中心とした新規事業を創出する企業群にとっては、性能規定を中心とした法体系が構築されることが望まれている。政府は、新規産業を創出する観点からは、性能規定を中心とした法制度を構築することを目指していくべきである。例えば、2020年の改正割賦販売法においては、新たな与信審査の手法について性能規定が導入されることとなったが、こうした取組を政府全体に広げていくことが望ましい。
また、立法過程において、欧米のように経済分析によるベネフィットとリスクを対比するなど、できるだけ客観的・中立的な情報により検討していくことが望ましい。さらに、この性能規定化も、一定の法益があることを前提に、その法益を保護するための法的規制に関する具体的な記述方法を定めるものであるので、保護されるべき法益の変化については、アジャイルガバナンスの視点で、継続的に制度そのものの見直しが高速かつ柔軟に行われることが求められる。
第三に、政府における法解釈のあり方である。政府は最も悪質な事業者を想定して法解釈を組み立てていく必要があるため、より保守的な解釈となることはやむを得ない面もある。しかし、保守的な法解釈が新規事業を阻害することにも一定の配慮が求められる。すなわち、政府の法解釈においても、「リスクをゼロにする」観点のみならず、新規産業の創出や新たな社会課題の解決に資する観点も、同程度に重要な視点として考慮されるべきである。仮に、政府が踏み込んだ法解釈を示した結果、悪質な事業者による問題行動が起きてしまった場合であっても、その一方で新たな事業が実現していたような場合であれば、後者の側面は十分に評価されるべきである。企業や法律家や、政府内においても、覚悟を持ってこうした法解釈を行った担当官を人事評価等において高く評価すべきである。
一方で、悪質事業者の増加防止の視点では、事後規制の強化が重要と考えられる。事前規制の性能規定化や解釈の柔軟化により、企業の創意工夫の余地が広がる分、悪質な事業者による問題行為が生じる可能性も高くなる。そのため、制裁制度の強化や、政府の執行体制の強化(定員数増加や予算増強等)により、事後的な対応を強化していくことが同時に必要となる。
以上の観点からは、デジタル臨時行政調査会等で提案された性能規定化やテクノロジーマップに代表される非拘束的なガイダンス(代替手法の提案を明示的に許容する。)といった取組は重要である。こうした取組により、保護法益を明確化しつつ、具体的な手段を特定せずに事業者に手段の提案を認める、という現代的な行政規制の性能規定化を進めることが可能となる。デジタル臨時行政調査会では、7項目を設定して、一括化法を提出したが、このような手法は、既存のデジタル臨時行政調査会の取組にとどまらず、様々な制度でも採用されるべきである。なお、最終的には他の省庁等が改革を求める構図を脱却し、法令所管官庁が自発的な見直しに取り組むような行政改革が進められることが、個別の規制改革を進める以上に最重要な課題であることは付言する。組織、公務員等の個人に関するインセンティブについての議論も、最終的には個別の規制見直しだけでなく、行政組織の行動原理の改善に繋げるべきである(これらはデジタル行財政改革会議やデジタル臨時行政調査会の目指す姿であるとも著者らは考える)。
また、改めて、事前にルールや手続が固定されたガバナンスではなく、アジャイルガバナンスが導入されることにより、社会的な保護法益や、考慮すべき事業、競争環境の変化に対して、法制度の見直しを柔軟に行えるようにすることが重要であることを指摘する。
4.イノベーション・新領域への取組に必要な民事・刑事制裁制度の在り方
1) アジャイルガバナンスとの接合
経済産業省「Society5.0における新たなガバナンスモデル検討会」において、イノベーションを促進するガバナンスとして注目され、検討が深められている「アジャイルガバナンス」は既に議論した行政規制の改革に用いられてきた。しかし、企業の行動原理と法制度との関係では、行政規制だけでなく、民事・刑事制裁制度も影響を及ぼすところである。このようなアジャイルガバナンスに接合する領域としての、民事・刑事制裁制度のあり方の議論を参照することが有益である。
2) 適切なインセンティブを付与する責任制度の必要性
現状の規制・責任のルールは、望ましい判断や行為を事前に明確にできるという前提に立っている。すなわち、事故が生じた場合はその事故を予見し、回避することができた者が民事上の責任を負い、また事前規制として免許制や各種法規制が適用される。しかし、例えば自動運転支援システムや重機の運用支援システムなど、人と協調的に動作する高度に自律的な機械の事故を想定した場合、こうした複雑な相互作用によってどのような事態が生じるかは科学的に未解明な部分が多く、しかも、こうしたシステムは日々変化していく。また、確率的に挙動するAIの性質を考慮に入れた場合、「過失」や「欠陥」といった概念を従来どおり解釈運用できるのかには、疑問の余地も生じるところである。そのため、事前に「正解」をあらかじめ定めることができることを前提とする従来の法制度ではなく、企業が柔軟に、かつ適切に事故を予防・対処するインセンティブを付与する民事責任及び刑事責任のあり方を構築することが必要となる。
3) 民事責任について
「責任」は多義的な概念であるが、従来の民事責任は「有責責任(事故等への非難を行うこと)」、「負担責任(金銭的な賠償等を求めること)」が結び付けられて理解されてきた。有責性の本質は、人に重大な影響力を及ぼすにもかかわらず、正当な理由により裏づけられているとはいえない判断・行為に対して非難が向けられるというものである。ここから例えば、事故を防ぐために十分な注意を払ったとはいえない「過失」に対する法的な非難と、そのような不当な行為によって生じた被害への賠償とが導かれることになる。
しかし、Society5.0における有責性は、従来と異なる配慮が必要である。人と高度に自律的な機械が相互作用しながら社会システムの機能が実現されていく場合、AIの確率的な挙動やシステムの複雑性によって、一人ひとりが注意深く振る舞ったとしても、なお望ましくない事象に関与してしまうことが避けがたいためである。また、そもそも何が十分に注意深く振る舞った行為であるか、すなわち何が正当な理由に基づく行為であるかをあらかじめ明らかにすることもしばしば困難となりうる。一方で、望ましくない事象が確率的に生じることや、予測困難な事態に陥ることがいわば「通常」となるSociety5.0の状況下においては、望ましくない事象の発生確率を技術の発展に即して見直し、あるいは、予測困難な事象の発生に際して既存のリスク管理手法の適切性を見直す姿勢が重要となる。つまり、既存のリスク管理のあり方を「見直し続ける」という企業の姿勢にインセンティブを与える責任制度の構築が重要となる。いわば、一種の「応答責任(引き起こした事象に対して正当な理由を与えることを求めること)」を中心に民事責任を再構築するという考え方が重要となる。
具体的には、第一に、「厳格責任ルール」があげられる。「厳格責任ルール」とは、例えば自ら開発・供給したサイバー空間とフィジカル空間を融合するサイバー・フィジカルシステム(以下「CPS」という。)が生じさせた損害について、その理由如何を問わず開発・供給主体が補償しなければならないというルールである。このルールの下では、CPSの開発・供給主体は、CPSから生じうるあらゆる悪影響を考慮して開発・供給をすることが求められる。つまり、このルールの下では、開発主体には、悪影響の発生を軽減させることによる補償額の減少と、軽減させる措置を講ずるための費用を衡量し、最適な水準でリスク低減措置を講じることができるよう、既存のリスク管理手法を常に見直すインセンティブが生じる。このリスク管理手法によって生じる費用は、価格に転嫁されることとなるため、CPSから生じる社会的利益は市場を通じて最大化されることになる。
もっとも、厳格責任ルールを機能させるためには、リスク管理主体がリスクの存在を認識している必要がある。しかし、複雑で動態的なSociety5.0の状況下において、全てのリスクをあらかじめ認識できるようにリスク探索を行うことは、事実上不可能である上に、過剰な費用を生じる可能性がある。
そのため、第二に、厳格責任ルールの導入とともに、「存在が認識されていないリスク」についての「免責制度」を導入する必要がある。もっとも、このような免責制度は、リスクの存在の探索を怠るモラルハザードを生じるおそれがある。そこで、免責を受けるためには、リスクの探索を適切に行っていたにもかかわらず認識できなかったリスクであることを主張立証する責任を開発・供給主体に負わせることが必要となる。なお、従来の過失責任は、①リスクの探索、②損害の予測、③結果回避措置に細分化され、いずれも、裁判所が最終的に判断することになる。これに対して、免責付厳格責任ルールは、①については結果的に一定の行為義務を課すことになるものの、特定されたリスクの発現として生じた損害は②と③にかかわらず全て企業が責任を負うこととなるため、②と③の有無及び対応の程度への評価を、裁判所ではなく企業自身の自律的判断に委ねることとなる。この企業の創意工夫を尊重する点が、従来の過失責任との相違点である。また、このような厳格責任ルールには、「非難」の意味が伴わない点にも、従来の過失責任との違いが認められる。
第三に、厳格責任ルールには、開発・供給主体の賠償能力に限界があるという弊害も生じる。そのため、開発・供給主体の賠償能力を補填するための保険制度の整備・導入が必要となる。また、免責の対象となる「存在が認識されていないリスク」については、被害者に対する賠償が行われないという弊害も生じる。こうした損害を賠償するための集団的補償システムを構築する必要がある。
このように、Society5.0時代の新たな技術に対応していくためには、従来の過失責任の考え方を必ずしも所与とするのではなく、企業への適切なインセンティブを与えるための適切な民事責任について再考が求められる。
4) 刑事責任について
民事責任のみならず刑事責任についても、上記の応答責任を中心とした再考が求められる。その一つの方向性として、例えば、近年企業犯罪対応の文脈でグローバルに定着しつつある訴追延期合意(Deferred Prosecution Agreement、以下「DPA」という。)の採用が考えられる。米国を発祥地とするDPAは、企業が犯罪事実を認め、捜査に協力し、再発防止策と被害回復措置をとること、また制裁金を支払うことなどを条件に、企業の訴追を延期することを検察と企業とが合意する手続である。米国では、DPAを締結せずに訴追された企業は、有罪判決に伴う天文学的な制裁金や重要な許認可の取消などによって、倒産の現実的なリスクに直面することになる。加えて、公益通報者には強力な保護措置や報奨金が用意されているため、犯罪を放置する企業のリスクは非常に高まることになる。このような背景事情の下で、DPAを導入することにより、企業には、自らの構成員が関与した犯罪を当局と協力しつつ自ら解決する強いインセンティブが働いている。すなわち、DPAの下では、企業が、リスクに真摯に向き合い、その原因を分析し、そこからの学びを通じて自らを変化させていくという「応答」に重きが置かれている。
したがって、CPSから生じる望ましくない事象を根拠として、当該CPSを開発・供給する企業に対し、このDPAに類する制裁制度を導入することは、企業自身の手による継続的なリスク管理手法の見直しと、万一の事態における企業の責任ある対応のためのインセンティブを強く生じることとなる。また、上記の民事責任について、DPAの条件として被害回復措置を盛り込むことでその執行費用を下げるとともに、CPSに関する情報提供義務の履行を確実なものとすることで、免責制度の濫用を防ぐことができると考えられる。
従来の我が国の刑事責任は、望ましくない事象を「過失」によって生じさせた個人に対する非難を中心として構成されてきた。そのため、確率的な挙動を生じるAIによって生じる事故や、複雑性によって生じた事故に関与した個人にどのような責任が問われることになるのかについて非常に不透明な状態を生じ、イノベーションに対するインセンティブを奪いかねない現状を生んでいる。一方で、企業によって供給される製品やサービスの質は、構成員個人というよりも、企業のガバナンスやコンプライアンスといった組織体制や企業風土に強く影響されることからすると、従来の個人責任を中心とする刑事責任が、CPSから生じるリスクを低減させるという観点から有効に機能するのか自体についても疑問が生じるところである。さらに、捜査機関の権限や資源に依存する従来の刑事司法制度では、グローバルに展開する企業の不法行為に対し、効果的な対処が現実的には困難であるため、結果的に悪貨が良貨を駆逐してしまうという問題も指摘できる。
このように、刑事責任についても、企業自らの創意工夫に基づいて、責任あるイノベーションを促すためのインセンティブを与えるための再構築が検討されるべきである。
5.会社法における経営判断原則の考え方と役員等賠償責任保険(D&O保険)について、日本における現在と海外との比較
以上により、行政規制、民事・刑事制度を見てきたが、実際に判断を行うのは経営者個人でもある点も着目に値する。特に、事業者がグレーゾーンと言われる新領域に挑んだ結果、後になって法令違反が認められた場合、日本と諸外国において民事・刑事の両面から取締役の責任がどのように問われるのか、現行法の枠組みと役員等賠償責任保険について考察し、会社法制の観点からも検討していきたい。
1) 日本における経営判断原則の考え方
a) 民事責任
取締役は、業務執行にあたって善管注意義務を負っており(会社法330条、民法644条)、当該義務に違反したことにより会社に損害が発生した場合、その損害を賠償する責任を負う(会社法423条1項)。また、取締役は、法令を遵守してその職務を行う義務を負う(法令遵守義務。会社法355条)。
経営判断原則は、判例上確立された定義はないが、取締役が会社経営に関する判断をする際、流動的な状況下においてしばしばリスクをとる意思決定をしなければならないこともあり、そのような判断を委縮させないように、取締役には権限の範囲内で広い裁量権が認められるべきであるとして、経営判断の前提となった事実の認識に不注意な誤りがなかったか、またその事実に基づく意思決定の過程と内容に著しく不合理な点がなかったかという観点から審査されることが多い(例えば、最判平成22・7・15判時2091号90頁)[1]。
取締役が法令違反を認識し得なかったと認められる場合に、過失を否定した最高裁判決がある(最判平成12・7・7民集54巻6号1767頁)。同判決では、損失補填行為を行った証券会社の取締役について、当時その行為が私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(以下「独占禁止法」という。)に違反するとの認識を有するに至らなかったことにつき、取締役が法令違反行為を理由に損害賠償責任を負うには当該違反行為につき取締役に故意又は過失があることを要するとした。
その上で、①当該取締役は損失補填が証券取引法に違反するかについて重大な関心を有していたものの、独占禁止法に違反するか否かの問題については思い至らなかったこと、②関係当局においても、証券取引に伴う損失補填が独占禁止法に違反するかどうかにつき、本件損失補填が行われた当時、問題としていなかったこと、③公正取引委員会が本件損失補填を含む証券会社の一連の損失補填が独占禁止法に違反すると勧告を行ったのは、本件損失補填を実施して約9年後であったことから、取締役の当該行為が独占禁止法に違反するとの認識を有するに至らなかったことにはやむを得ない事情があったと判断し、損害賠償責任を否定している。
一方で法令違反をした取締役の任務懈怠責任が認められた事例も少なくないが、そのほとんどは取締役が法令違反を認識していた事例である(例えば、東京地判平成6・12・22判時1518号3頁、東京地判平成8・6・20判時1572号27頁、東京地判令和4・3・28資料版商事459号131頁)[2]。
b) 刑事責任
日本の刑事責任における経営判断原則の判断枠組みは、民事上のものと異なる概念として整理されているわけではなく、取締役が自己又は第三者の利益を図るような場合、すなわち善管注意義務・忠実義務違反の事件には、原則として経営判断原則を適用すべきでないと一般に考えられており、取締役が法令違反行為をしていないことが経営判断原則を適用する前提となっているものと考えられる[3](例えば、最三小決平成21・11・9刑集63巻9号1117頁)。
もっとも、法令違反行為に経営判断原則が及ぶと判断して刑事責任を認めなかった裁判例もある(例えば、広島高判平成29・4・19裁判所HP参照(平成28年(う)71号))。このように、日本法では、結果的に違法であれば直ちに経営判断原則違反とまではされない可能性があるが、広範な免責は認められていない。
c) 日本に関する小括
日本の裁判例においても、経営判断原則の下、行為の時点において法令違反を認識していない場合には、取締役の責任が認められない可能性があることも見てきた。一方で、経営判断原則は、法令違反に関する認識がある場合等において適用が制限されている。このような日本の状況も踏まえつつ、海外の状況も見ていきたい。
2) 海外における経営判断原則の考え方
日本法の比較対象として、グレーゾーンと言われる新領域に挑む事業者のビジネスジャッジについて、法的な責任範囲を限定する傾向にある米国デラウェア州・ネバタ州や、経営判断原則について明文化を試みて法的安定性を図るドイツの法枠組みについて紹介していく。
a) 米国デラウェア州における経営判断原則の考え方
デラウェア州法上、取締役は信認義務(Fiduciary Duties)を負い、その内容は大きく、①注意義務(Duty of Care)と②忠実義務(Duty of Loyalty)に分かれている。デラウェア州の判例法理上、取締役が行った経営判断によって会社や株主に損害が生じた場合であっても、この判断が取締役の権威の範囲を超えず、相当の注意を払い(with care)かつ誠実に(in good faith)行われた場合、取締役は経営判断原則(Business Judgment Rule; BJR)の下、そのリスクテイキングの判断が手厚く保護されている。まず、デラウェア州における経営判断原則においては、判断が難しいグレーな事業が失敗に終わったという「結果」のみに着目してその経営判断の妥当性について評価することはせず、あくまで当該判断に至った「過程」に問題がなかったかという点に着目する(例えば、2003年Litt v. Wycoff判決)。また、取締役の責任は、損害に関する取締役の「重過失(gross negligence)」を証明するだけでは足りず、取締役が「害意を持って(in bad faith)[4]」行動した場合にのみ責任が発生し、原告側に、取締役が認識可能な信認義務違反をしたことを裏付ける具体的事実を主張することを求めている(例えば、2006年In re Citigroup Inc. S'holder Derivative Litig.判決、2022年Constr. Indus. Laborers Pension Fund v. Bingle判決)。「具体的事実」とは、例えば、「取締役会が、デューデリジェンスを行わず、経験豊富なアドバイザーも起用せず、また経営陣による大まかなプレゼンを行うだけの会議を一度開催するのみで、大規模な買収に着手した」ことや、「取締役の一人が支配権を持つ会社の買収を取締役会が承認したものの、その意図は当該取締役が財務上の問題を抱えており、会社の利益よりも取締役個人の利益を優先した結果であった」ことがこれに該当する(2006年Trenwick Am. Litig. Trust v. Ernst & Young判決)。
b) 米国ネバタ州における経営判断原則の考え方
ネバタ州法では、経営判断原則が明文化されている(Nev. Rev. Stat. Ann. § 78.138)。同条4項では、経営判断にあたって取締役は、①企業の従業員、供給業者、債権者又は顧客の利益、②国家又は国家の経済、③地域又は社会の利益、④企業の長期的又は短期的な利益、⑤会社の株主の長期的又は短期的な利益を考慮することができると規定されている。同条5項では、検討されている企業活動が、当該企業の株式を保有する特定の団体やその他有権者に与える影響を経営判断の主な要素として考慮する必要はないと規定されている。同条3項では、取締役は経営判断において、企業の利益に沿った行動をとっているものと推定すると規定されており、経営判断において企業の利益を追及していなかったことの立証責任は原告にあるとされている。
c) ドイツにおける経営判断原則の考え方
ドイツ法上、取締役は、その業務執行において、慎重かつ良心的な(ordentlichen und gewissenhaften)経営者としての注意を払わなければならず(Aktiengesetz(以下「株式法」)93条)、取締役としての活動を通じて知り得た営業秘密又は企業秘密を保持しなければならない。取締役は、これに違反した場合、それによって生じた損害を会社に賠償する責任を負い、注意義務を果たしたことの立証責任は取締役側にある。
2005年の株式法改正により、取締役が企業家としての決定にあたり、適切な情報に基づき会社の福利のために行動したと合理的な仕方で判断できる場合には、注意義務違反があったとはみなされないとして、経営判断原則が明文化されている(株式法93条1項第2文)。また、経営判断原則が適用されないことが直ちに注意義務違反を構成するものではなく、裁判所は取締役の判断が不注意で会社に損害を与える決定であったかどうかをさらに審査するものとされている[5]。経営判断原則が適用されるためには、①企業家としての決定であること、②会社の福利のために行為したと合理的に認めることが許されること、③特別な利益や外部の影響を受けた行為でないこと、④適切な情報を基礎とした行為であると合理的に認めることが許されること、⑤善意なる行為の5つの要件を満たす必要がある。
①「企業家としての決定」とは、情報を十分に得た上でさまざまなリスク要因を比較考量して複数の行為の選択肢から会社ないし企業の利益のために最善となる行為を選び取ることを意味する。当該選択は、多数の実際に可能で法的に許される選択肢から検討する必要がある[6]。例えば、贈賄やマネーロンダリングと同じく明白な違法行為であるカルテル契約の締結(仮にカルテル契約の摘発の可能性が低く、かつカルテルによってもたらされる利益が膨大になる場合を含む。)や、定款に記載された事業目的に従った行為義務を負う取締役が定款の目的外行為を行った場合には経営判断原則は適用されない[7]。
②「会社の福利のために行為したと合理的に認めることが許されること」における「会社の福利」とは、企業の利益を意味し、株主の利益だけでなく、会社債権者・労働者、あるいは公的利益も含まれる[8]。また、「行為したと合理的に認めることが許される」か否かは、もっぱら会社の福利のために行為したという主観的要素によって判断される[9]。
③「特別な利益や外部の影響を受けた行為でないこと」の要件は、条文上では明文化されていないが、判例・学説上認められた要件となっている。「特別な利益や外部の影響を受けた行為」とは、影響を受けて取締役の個人的利益のため、又は、取締役と近い関係にある個人や会社のために行為をしたこと、すなわち利益相反行為をしたことを意味する[10]。
④「適切な情報を基礎とした行為であると合理的に認めることが許されること」とは、考えられる限り全ての情報を収集する抽象的義務が定められているのではなく、決定の準備を徹底的に行い、具体的状況において適切なリスク算定を行うのに必要な情報の収集を事前に十分に行った上で決定したこと(注意深い決定)を意味する。「注意深い決定」をしたか否かは、(a)決定に至るまでの時間的経緯、(b)決定の性質や意味、(c)情報にアクセスするための事実上・法律上の可能性、(d)収集された情報の有用性と情報収集のための費用との関係等の諸要因によって決定される[11]。外部専門家の意見を得ただけでは必ずしもこの要件を満たすものではないが、取締役に専門知識がない場合、取締役が専門家に状況判断のために必要な情報を適切に説明した上で、その会社の信頼性テストをクリアした、独立した専門知識を有する専門家の意見を信用した場合には責任が免責される「信頼の原則」を採用している[12]。
⑤「善意なる行為」とは、会社の利益のため最善を尽くしたこと(good faith effort)を意味する。ただし、経営判断原則の下では、取締役は通常、会社の福利のために行動することが期待されているため、この「善意なる行為」という要件は大きな意味を有していないと考えられている[13]。
3) 役員等賠償責任保険(D&O保険)
以上のように、経営判断原則の下、法的責任が生じる場面そのものを限定的に捉えていくことや、明文化を行う海外の取組を見てきたが、一方で、責任が認められる場合であっても、損害賠償に係る費用負担等を限定する取組としてD&O保険もあることから、D&O保険に関する国内外の状況も見ていきたい。
役員等賠償責任保険(D&O保険:Directors & Officers Liability Insurance)とは、一般的には、会社役員の業務遂行に起因して、保険期間中に損害賠償請求がなされたことによって被る損害(損害賠償費用、争訟費用等)について支払われる賠償責任保険をいう。D&O保険を導入し、会社役員の業務遂行に起因して発生した対第三者責任や対会社責任について、保険金が支払われることで、会社役員が委縮することなく積極的な経営判断を行うことが期待される。
日本では、令和元年の会社法改正において、D&O保険契約を締結する場合の手続に関する規定が置かれ、会社がD&O保険を締結するには、株主総会(取締役会設置会社にあっては、取締役会)の決議によらなければならないこととされた(会社法430条31項)。
諸外国では、D&O保険の導入を制定法上認めている国もある。例えば、米国デラウェア州における代表的な会社法であるデラウェア州一般会社法では、対第三者責任・対会社責任を区別することなく、会社が会社役員のためにD&O保険を締結することを認めており(同法145条g項)、イギリス2006年会社法(Companies Act 2006)では、会社が、自社又は関連会社の取締役のために、会社に関する過失又は義務違反によって生じる取締役の責任をカバーする責任保険契約を購入し、維持することができる旨が定められている(同法233条)。これに対してドイツでは、2009年以前には、会社が保険料を出捐するD&O保険の適法性について議論が存在したものの、2009年改正株式法では、会社支出によるD&O保険契約の適法性を前提として、会社が取締役についてD&O保険契約を締結する場合には、確定年次報酬の1.5倍に至るまで損害の10%を最低限とする自己保有(取締役個人の責任負担)を定めなければならないこととされ(同法93条2項)、現在では適法性についての議論は収束した。
各国のD&O保険がカバーする対会社責任と対第三者責任については、法令上の区別はされていないものの、米国では、一般的に、保険約款上、故意の違法行為による責任を填補する保険約款を作成する保険会社は存在しないであろうと考えられていたことから、一般的には故意の違法行為に基づく責任が保険約款上の免責事由となっており、判例上も、公序は故意又は意図的な権利侵害、詐欺又は法に対する故意の違反に対する填補を禁じているとしている。また、イギリスでは、①犯罪行為に対する罰金、②懲罰的損害賠償、③法令違反行為による民事責任、④故意に行われた不誠実又は詐欺的な行為による民事責任については、保険者は免責されているほか、取締役の故意又は無謀な行為によって損害が生じた場合、取締役が不当な利益を得た場合、取締役が法令に違反した場合に、D&O保険金の支払を否定した判例が存在している。また、ドイツでは、故意の義務違反に基づく責任や刑事罰・過料等に関する責任は、モデル保険約款上の免責事由となっており、罰金・過料についての保険は、ドイツ法上は、強行法規違反(民法典134条)、良俗違反(民法典138条)により無効であるとされている。
このように米国、イギリス、ドイツなどでは、故意に行われた違法行為については判例法・保険約款上は補填の対象外とされている一方、過失に基づく行為が補填対象となるかについては保険の内容によって異なるものと考えられる。
一般的に日本で提供されているD&O保険では、故意犯・過失犯の区別なく「犯罪行為」による場合は保険支払の対象とされていないが、例えば積極的な経営判断によりグレーゾーンの行為を選択した結果、旅館業法等の業法違反となり罰金刑が課されたような場合にも、D&O保険ではカバーされないという点は、経営者のリスクテイクを阻害するのではないかという懸念もある。
4) 役員の経営責任に関する小括
以上のように、日本においては、グレーゾーンに関する新事業では、経営判断原則により取締役が免責される可能性があるものの、経営判断原則を活用しようとする国々と比べた場合に限定的である可能性がある。また、D&O保険についても、一定の範囲で取締役の経営判断を支援する役割を発揮しうるものの、一方で、結果として犯罪構成要件に該当する行為があった場合には利用できない可能性が残る。
このように、今後経営判断原則について、グレーゾーンに立ち向かうことをより支援する議論が進むことや、D&O保険の利用可能性が高まることも期待されるが、現状でも直ちにリスクがある領域での取組が進むように、適切なリスクマネジメンのフレームワークの活用の必要性が高いとも考えられる。
6.イノベーション・新領域への取組におけるリーガルリスクマネジメントの枠組みについて
1) 法令上のグレーゾーンに対する企業における課題
イノベーションはリスクとトレードオフの関係にある。ところが、日本における多くの企業の法務部、法律事務所における業務法判断は、既述のように「リスクをゼロにする」ということを主眼として行われているといわれている。しかし、「リスクをゼロにする」という意識は、コンプライアンス上の厳格さが保たれる一方で、成長性のあるイノベーションや新領域における新規事業の多くが、法令上の解釈が確立されていない、いわゆるグレーゾーンにあることから、イノベーションや新領域におけるこうした新規事業の立ち上げを妨げることになってしまうという弊害が生じる。
2) リーガルリスクマネジメントの潮流
この点、欧米における潮流を見ると、ISO31022:2020(リーガルリスクマネジメントのためのガイドライン)が2020年に発表されるなど、「リスクをゼロにする」ではなく「リスクをマネジメントする」考え方が発展してきている。日本の法実務慣行では、「リスクをゼロにする」観点からリーガルリスクがあるから事業開始不可、という判断が行われてしまうケースが多く、リスクマネジメントのプロセスが省かれてしまうことが多い。特に規制法のグレーゾーンのリスクマネジメントに照らして考えると、特定の規制法におけるグレーな条項を「特定」するだけでは不十分であり、法令の趣旨を踏まえた法益侵害の程度や、反対に法益に資する側面の検討、過去の規制当局の法執行状況や規制当局の行動原理を踏まえた執行リスクを検討し(リスクの「分析」)、その上で、そのリスクを「評価」する必要がある。ISO31022によれば、評価は「likelihood(リスクの起こりやすさ)」と「Consequences of events(リスクの大きさ)」の側面から行うことが推奨されている。さらに、当該評価を踏まえて、その「対応」を提案することも重要である。例えば、リスクを提言するための方策(ビジネスモデル設計における工夫)、規制当局から指摘を受けた場合の緊急対応策などを準備しておくことが有効となる。
すなわち、企業の法務部員を中心とした全ての法律実務家は、「リスクをゼロにする」という考え方から、「リスクをマネジメントする」という考え方に切り替えていくことが必要である。リーガルリスクマネジメントは、リーガルリスクの「特定→分析→評価→対応」という4つのコアプロセスから構成される[14]。
3) 行政機関のお墨付きは、リスク低減策の1つ
では、リーガルリスクマネジメントの観点から、伝統的に行われてきた旧来型の「行政機関に法解釈を聞く」、「行政機関にどのように振る舞うべきかの見解を求める」というアプローチはどのような意義を有する活動なのであろうか。
上記のようなアプローチは、闇雲に否定されるべきものではなく、長所と短所を見極める必要があるだろう。例えば、長所として、リーガルリスクマネジメントにおける「リーガルリスクの対応」(リスクの低減策)の1つとして、事前に行政機関と見解をすり合わせておくこと(その範囲外の経済活動を自粛すること)は、法執行を行う行政機関のサプライズの発生可能性を著しく低減させ、一定の予見可能性を確保する。
他方、短所として、行政機関は、行政機関独自の目的及び使命があり、経済活動を主な目的とする企業という組織体と自ずから「目的」を異にする。リスクマネジメントは、目的に対する不確かさであるリスクを対象とするところ、行政機関にとっては、たった1件の軽微な事故であっても、保護法益によっては、全く許容できない事態といえる。このように、そもそも目的を異にする行政機関に対して、「当社がリスクテイクできないのは保守的な行政官のせいだ」と論難し、行政に責任転嫁することはお門違いも甚だしい。企業のリスクテイクの意思決定において、「国のお墨付きを得る」という選択肢(無数に存在するリスク低減策の中の1つの選択肢)を採用するも採用しないも全くの自由である。
そこで、このような長所・短所をそれぞれ踏まえつつ、その低減策が果たして唯一のものかを見極め、複数のリスク低減策を立案・実行して、自らの創意工夫と自らの責任で、リスクテイクを行っていく必要がある。問題の核心は、自らの権限と責任を棚上げにして、行政に責任を丸投げしていないかという点であろう。
4) 今後も高まるリーガルリスクマネジメントの必要性:技術の進歩は、さらなる法令上のグレーゾーンを不断に生み出す
上記のとおり、リーガルリスクマネジメントの枠組みは、2020年5月に「国際規格ISO31022:2020」として発行されており、これは、あらゆるリスクに適用可能な汎用的なリスクマネジメントの枠組みであるISO31000:2018とも整合している。あらゆる企業・組織に適用可能なISO31000及びISO31022も示す「リスクマネジメント」の枠組みは、目的の達成を不確かにするリスクと向き合う際の大きな手がかりになるだろう。
重要な点として、リーガルリスクマネジメントの必要性が、今後一層高まることはあれど、必要性が低下することはないことが挙げられる。なぜなら、法令を含むルールは、常に、発展する技術・サービスよりも古いものであり、両者の間には常に「隙間(ギャップ)」が生まれるからである。現時点よりも過去に制定された規範である法令を含むルールは、過去の一時点において利用可能な情報(立法事実)を前提としており、ルールの制定が古ければ古いほど、技術・サービスと法令との間に、隙間(ギャップ)が発生せざるをえない。そして、アジャイルガバナンスとの関係において論じられたように、サイバーとフィジカルが融合し、日進月歩の科学技術の加速度がさらに高まる現在において、法令上のグレーゾーンは不可避的に生じていくことになる。例えば、第二次世界大戦終戦後の1940年代後半に制定された70年前の旅館業法は、インターネットが誕生する遙か昔に制定された法律である。当時の優秀な立法者・行政官といえど、インターネットにおけるリアルタイムの取引を主軸とするホームシェアリング(民泊)を想定できなかったことは想像に難くない。
このような法令を含むルールと技術・サービスの関係に鑑みれば、リーガルリスクマネジメントの枠組みは、法解釈及び事実認定には一定の幅が生じるという事柄の性質上、リーガルリスクに対するスマートな「リスクテイク」を支援する臨床法務技術の柱になるだろう。また、こうしたリーガルリスクマネジメントは、技術の進展が著しい現代においてはその必要性は増し続けていくと考えられ、企業においても早急な導入が必要である。これが企業の価値向上にもつながっていくものと考えられる。
5) スマートなリスクテイクを実現する「リーガルリスクマネジメント」の枠組み
1つの処方箋として、従来の法教育が十分に取り扱ってこず、法律事務所や企業の法務部などのOJTに丸投げをしていた「リスク」をマネジメントする能力を、コアコンピテンシーとして、法律を学ぶ学生及び法律に携わる者が実装しやすい環境を構築できるかが鍵になるかもしれない。
このような世界線を想像してもらいたい。この異なる世界では、ホームシェアリング(民泊)のAirbnbの創業者3人が、東京大学を卒業したエンジニア1人と東京藝術大学を卒業した2人の合計3人の日本人の若者だった。すなわち、彼らが「見ず知らずの旅行者と、空いている自分の家に泊めたいという人とをマッチングさせるプラットフォーム事業」という米国Airbnbの創業者と全く同じ事業を、世界で最初に日本で思いついて起業したとする。そのとき、我が国、そして我が国の法律に携わる専門家やビジネスパーソンは、この新規事業を「葬る」のか「エナーブル(Enable)」できるのか。
この岐路には、リーガルリスクをスマートに「リスクテイク」する意思決定を支援するための臨床法務技術の実装度が間違いなく1つの要素になるだろう。2019年11月に公表された経済産業省の「国際競争力強化に向けた日本企業の法務機能の在り方研究会」の報告書から、早くも3年半が経過しようとしている。攻めの法務は、規制改革やアジャイルガバナンスの動きとも連関し、リーガルリスクマネジメントを臨床技術として次の段階に差し掛かっている。
7.提言のまとめ
これからの社会においては、社会の様々なインフラが当たり前にデジタルとなる中で、同時に生成AIの活用により、自動的・自律的なサービスが様々な日常的利便性をもたらしていくことが期待されている。人工知能はある程度確率論的なふるまいをすることからも、必然的に「グレーゾーン」として扱われる領域が増えていくのではないだろうか。
そのような事業環境の中でイノベーションが生まれる状況を確保していくためにも、「グレーゾーン」領域において事業者が積極的にイノベーションを起こすことのできる制度づくりが求められている。これは、行政規制においてもさらに網羅的に取組が進められることが期待されるが、さらに行政規制に限らず、従来前提とされてきた、民事・刑事責任の在り方も含めて検討がなされる必要がある。
また、「グレーゾーン」に関する取締役等の経営者の経営判断原則の適用の整理が進められることや、D&O保険のようなセーフティネットの活用可能性が高まることも必要となる。
一方で、企業としては、現状においても、上記の課題の解決を待ち続ける時間もないことから、「グレーゾーン」に対して単に萎縮するのではなく、これを適切に取り扱っていくためのリスクマネジメントの手法を構築して、「グレーゾーン」への取組も進めつつ、イノベーションを推進していく必要がある。
[1] 奥島孝康ほか「新基本法コンメンタール[第2版]会社法2」90頁(高橋美加担当部分。別冊法学セミナーno.243、2016)
[2] 田中亘「会社法[第4版]」287頁(東京大学出版会、2023)
[3] 近藤光男「判例法理 経営判断原則」(中央経済社、2012)では、「経営判断原則の適用には取締役が法令違反行為を行ってないこと、積極的に経営判断を下していることが要件となる。そもそも法令違反について、その是非は裁判所による判断に当然なじむのであり、違法な行為をすることまでもが取締役の裁量の範囲内と解することは不適切だからである。」とされる。
[4] 「害意」とは、意図的な義務の放棄(intentional dereliction of duty; a conscious disregard for one’s responsibilities)、すなわち会社の利益追求以外の目的をもって行動したり、適用される法律に違反するという意図をもって行動したり、又は作為義務があることを承知でその行動を意図的に怠り、義務を意図的に無視したことをいう(8 Del. C. § 102(b)(7)(ii)、2006年In re Citigroup Inc. S'holder Derivative Litig.判決)
[5] 福瀧博之「経営判断原則についての覚書:ドイツ法における法解釈学的な位置付け」関西大学法学論集64巻5号1876頁(2015)
[6] 高橋英治「ドイツと日本における経営判断原則の発展と課題(上)」商事法務2047号19頁及び福瀧博之・前掲注[5])146頁
[7] 経営判断原則の明文化にあたって提出されたUMAG政府草案理由書では、「一定の行為を執るように決定が法律によって決められている場合、すなわち忠実義務、情報提供義務その他の法律定款に違反する行為は、企業家的決定とは区別されるべきであり、一般的な法律・定款違反行為にはセーフ・ハーバーを与えるべきではない」と明言している。すなわち、明文化当時は「法律違反を犯したほうが会社の利益になる場合でも、法律違反である以上、経営判断原則が適用されることはない」と考えられていたようである。(日本取引所グループ金融商品取引法研究会「ドイツにおける経営判断原則」(2014年9月26日)、https://www.jpx.co.jp/corporate/research-study/research-group/nlsgeu00000165yr-att/20140926_1.pdf)
[8] 高橋英治・前掲注[6]20頁
[9] 福瀧博之・前掲注[5]147-8頁
[10] 高橋英治・前掲注[6]20頁
[11] 高橋英治・前掲注[6]21頁
[12] 同上
[13] 同上
[14] 渡部友一郎「攻めの法務 成長を叶える リーガルリスクマネジメントの教科書」(日本加除出版、2023年)参照
お問い合わせ先
本提言に関する一般的なお問い合わせは、下記までご連絡ください。
渥美坂井法律事務所・外国法共同事業 プロトタイプ政策研究所
Email: public-inst.contact@aplaw.jp
(2023年12月15日)
主な執筆者・意見提出者
研究会メンバー及び研究員
※順不同
執筆者
落合 孝文
渥美坂井法律事務所・外国法共同事業
シニアパートナー 弁護士/第二東京弁護士会所属
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科特別招聘教授
プロフィール
クロサカ タツヤ
株式会社 企 代表取締役
慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 特任准教授
プロフィール
瀧 俊雄
株式会社マネーフォワード 執行役員 グループCoPA
サステナビリティ担当/ マネーフォワード総合研究所長
プロフィール
宮田 洋輔
株式会社ポリフレクト代表取締役社長
プロフィール
國峯 孝祐
國峯法律事務所
弁護士
プロフィール
羽深 宏樹
京都大学大学院法学研究科 特任教授/東京大学大学院法学政治学研究科 客員教授/弁護士(日本・NY州)/スマートガバナンス株式会社代表取締役CEO
プロフィール
渡部 友一郎
Airbnb Japan株式会社 弁護士・日本法務本部長/
日本組織内弁護士協会理事
プロフィール
稲谷 龍彦
京都大学大学院法学研究科
教授
プロフィール
東 博暢
株式会社日本総合研究所 プリンシパル/大阪公立大学研究推進機構 特任教授
プロフィール
乾 直行
渥美坂井法律事務所・外国法共同事業
弁護士
プロフィール
幕田 怜輔(渥美坂井法律事務所・外国法共同事業 弁護士)
森 茜(渥美坂井法律事務所・外国法共同事業 弁護士)
横山 隆大(渥美坂井法律事務所・外国法共同事業 弁護士)
本提言の執筆にあたっては、上記執筆者・意見提出者のほか官民の有識者等にヒアリングを踏まえて作成したが、特に以上のメンバーが寄与した。